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色恋管理?元風俗店店長が語る「女が身体を売るということ」

毒島 サチコ

毒島 サチコS.Busujima

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1度裸になったら感覚が麻痺する

―――どうしてMさんは風俗店の店長に? どんな女の子が来るんですか?

Mさん:いろいろあって、仕事を辞めてどん底だったとき、たどり着いたのが「風俗のボーイ」でした。闇深い場所ですよ。

昼間はスーパーのパートと嘘をつき、風俗で働きたいという主婦や、“学生なんです~”と言ってキラキラした目の普通の子が面接に来る。

だけど、みんな、いつの間にか、そのキラキラしていた目が、どんより白く濁っていくんです。

軽い気持ちで足を踏み入れて、服を脱ぐまではドキドキしているのに、脱いだら1本ネジが外れるというか……それが当たり前になるんです。

 

女の子が商品 男性スタッフの「色恋管理」

―――脱いだら当たり前になるんですね……。やっぱり店長だったら、色恋管理ってあるんですか?

Mさん:ありますよ。女の子は“商品”なので。対象はだいたい業界未経験の子。

未経験の子たちがその業界でいちばん頼れる人=店長じゃないですか?

だから染まりやすい。

サラリーマンと違って、風俗は完全出来高制なので、店に来させて売り上げを上げさせないといけない。

そこでいちばん手っ取り早いのが色恋管理です。

自分に惚れさせて、「自分に会いに来る」感覚で仕事に出勤させます。

 

―――色恋管理って、ビジネスとして割り切れるものなんですか?

 

Mさん:やっぱり人間なので、お互い本気になって、辞めていったボーイと風俗嬢もいますが……ビジネスとして僕は割り切っていました。

ただ、結果としてプライベートと仕事との境目が分からなくなって当時の彼女とは続きませんでしたね。

 

「労働」としての性行為の残酷さ 「講習」

―――面接でよく映画とかに出てくる“講習”みたいなのってあるんですか?

Mさん:ありますよ。“講習”は男目線でみた“いい女”を教える機会なので。

逆にこれは“仕事”なので、しないお店はよくないです。

ただ、この講習で不本意なこと(つまり、そういうことです……)を求められたりしたら1億パーセントまともなお店じゃないです。

 

元風俗店長から女性へのアドバイス

「不幸の中でも少しでも不幸がなくなってほしい」

Mさん:いろんな事情で働く女性がいらっしゃると思うんです。なので本気でその道を志す、あるいは、強いられた女性には、上っ面の言葉ではなく、心底、慈愛と心配を尽くしてくれるお店に出会ってくれることを望みます。

それが業界を嫌いになった自分として、一定の経験を持つものとして、せめてもの務めです。

 

今は大手企業に勤めるMさん。

業界からは離れているものの、過去の経験を振り返り、伝えてくれたのは「“身体を売ること”を否定せず、その世界で生きる女性が少しでも不幸な思いをしないですむようになってほしい」ということ。

「正直“底辺”の世界。だけど、そこでしか働けない人たちがいることは事実。働きにくる子は絶対に何か”闇”がある。そこで少しでも不幸な思いをしないですむようになれば、僕がお話させていただいたことが有意義になるかなと」

“女性の心の痛み”知っているからこその説得力のある言葉を放つMさんの優しさを感じられるインタビューでした。

 

身体を売るということは心を売るということ

インタビューをして筆者が女性として感じたこと、それは「身体を売る女性全員が、必ずしも金銭的な貧しさが原因ではないということ」です。

話を聞けば聞くほど、身体を売る女性は「金銭的な貧しさ」ではなく、「小さな心の貧しさ」を抱えていると感じました。

そこでしか働けない人=「金銭的な貧しさが原因」ではなく、そこでしか働けない人=「心の貧しさが原因」なのかもしれません。

「小さな心の貧しさ」からその世界に片足を踏み入れ、“商品”として使い捨てられ結果として精神を病んでいく。

そうやって身体を売るということは心を売ることに直結するような気がします。

 

女性としての一番の幸せは“愛されること”

根本に戻り、なぜ自身が決めたことなのに「身体を売ることが悪とされているのか」ということについて考えてみましょう。

もしかしたらそれは「女性が“期間限定の商品”としてみなされること」に原因があるのかもしれませんね。

ただ、そこでアイデンティティを確立しようと必死にもがいている女性がいるのは確か。

インタビューするまでは「身体を売るなんて絶対悪だ!」と思っていた筆者。

しかし、「女性が身体を売ること」に対して一概に是非を問うことはできないのかもしれません。

 

ですが、絶対に忘れてはいけないこと、それは女性としての幸せは“男性に愛されること”。

どんな状況でも、どんな場所でも環境でも“女性として愛されること”を忘れずに生きていきたいですね。