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愛想笑いする人の心理!愛想笑いで疲れたときの対処法も
平松隆円R.Hiramatsu
1:愛想笑いとは?
「愛想笑い」とは、そもそも一体なんなのでしょうか?
『小学館デジタル大辞泉』によれば、「人の機嫌を取るための笑い。おせじわらい。 」とあります。
夏目漱石は、1909年に発表した『それから』のなかで、「婆さんは相手にされないので、独りで愛相笑(=愛想笑)ひをして座敷を出た」と使っています。今のわたしたちが、たいして面白くなかったり興味もないのに相手に合わせて笑うときと同じ意味です。
英語では、「smile ingratiatingly」というのが、愛想笑いにあたります。「ingratiatingly」というのは、「ごますりの」とか、「媚びる」とか「取り入ろうとする」という意味です。
英語の方が、日本語よりも愛想笑いの真意をあらわしているかもしれません。たんに機嫌をとるためだけで、相手を気持ちよくさせて自分に便宜を図らせようとか、自分を優位にさせるためにする笑いが、愛想笑いなんです。
2:愛想笑いする人の心理
愛想笑いの意味から、愛想笑いをする人の理由は明確です。
その意味が示しているとおり、「相手の機嫌をとって、取り入ろうとすること」を目的に笑う(笑顔を振り向ける)わけですが、もう少しここで心理的な部分をみていきましょう。
(1)「間を持たせる」が苦手
夏目漱石も『それから』のなかで、「婆さんは相手にされないので、独りで愛相笑ひをして座敷を出た」と書いているように、返事に困るような言葉を投げかけられたら、なんて返したらいいかわかりませんよね。
ですが、返答に悩んでいたら、変な空気というか間ができてしまいます。それを防ぐために、愛想笑いをするということがあります。
明確な返事はしていないけれど、愛想笑いによって、相手に「同意をしている」とか、「好感を持って聞いていますよ」という印象を与えるわけです。
(2)本音を隠す
また愛想笑いは、返事に困ったときだけではなく、自分の本音を探られたくないときにも活用されます。
たいして、相手の話が面白いわけでもないけど、つまらないとは言えないとき。とりあえず愛想笑いをしておけば、その場を繕うことができ、相手にも不快な思いをさせることはありません。
恋愛でも初デートのときに愛想笑いをしたことがある経験のある人に、このケースがあるのではないでしょうか? まぁ、けっして悪いことはないのですが。
(3)好意を持ってもらいたい
愛想笑いとは、そもそも「笑い=笑顔」であることから、当然ながらそれを振り向ける人には好意の感情を示します。そして、好意には「返報性(=お返し)」があり、自分が好意を示せば、相手も好意を示し返してくれます。
つまりは、愛想笑いをするということは、その相手に「好意を持ってもらいたい」ということの裏返しなんです。恋愛でも、やっぱり愛想笑いは重要かもしれません。
(4)嫌われたくない
「相手に好意を持って欲しい」というのと同時に、「相手に嫌われたくない」という心理もあります。嫌われてしまうのが嫌なので、愛想笑いをして嫌われないように感じ良くしておくという経験、みなさんもきっと、一度はあるでしょう。
3:愛想笑いで疲れる…対処法
ですが、愛想笑いとはあくまで「本音」ではなく表面的な笑いや好意を示しているだけなので、疲れます。
では、疲れないためには、一体どうしたらいいのでしょうか。
(1)聞き流すことに慣れる
なんて返事をしたらいいかわからなくて、変に空いてしまう間が嫌で愛想笑いをしてしまう人は、何でもかんでも返事をしなくていいと気づくことが必要です。
別に、そのまま聞き流しても、相手はそんなに気にもしません。むしろ、「愛想笑いだな」と気づかれた方が、人間関係が悪化するリスクは高くなります。
(2)正直でいることの勇気
意外と、愛想笑いというのは他人にバレてしまっているものです。なので、無理をして愛想笑いをする必要はありません。
それに、愛想笑いというのは自分は同意できないけど、相手の機嫌をとるためにとりあえず笑っておこうという行動です。自分の本音とは、違うわけですから、愛想笑いも積もっていくと、自分の本音と大きく乖離していきます。
つまりは、ウソの自分で作った人間関係なわけですから、その関係はけっして居心地がいいものではありません。
仕事の関係などは仕方がないでしょうが、友達関係などでは、愛想笑いをしなくていい人と関係を築いていく方が有益です。
4:愛想笑いできないのはダメなこと?
愛想笑いの賛否は決められません。愛想笑いをすることで、人間関係が円滑にすすむこともあれば、その場を取り繕うだけで深い人間関係に発展することは難しいこともあります。
場合によっては「あの人は、いつも愛想笑いで本音がわからなくて怖い」と、ネガティブに働く場合だってあります。
愛想笑いができる人はすればいいでしょうし、できない人は無理をしてする必要はないんです。